Earth Labでは、ミレニアル世代の多様な働き方を発信しています。今回は波瀾万丈な半生を経て、自分らしい生き方をみつけたあらいさんのインタビューを前後編に分けてご紹介。
いじめを受けたことや両親の離婚がきっかけで、不安定な幼少期を過ごしたあらいさん。中学時代は、孤独をかき消すように暴走族のメンバーに。その後、逮捕され少年院に入った経験があります。
しかし、1冊の本と出会ってから人生が変わります。ピースボートに乗って世界を4周。カナダでの生活でシェア文化の面白さを発見。そして帰国後は、上場企業でシェアリングエコノミーを日本に広げるために働いています。
「自分らしさを見つけるためにもがいてきた」というあらいさんに、自分らしさの見つけ方や、やりたい仕事の見つけ方を聞きました。自分のやりたいことが見つかれば、自分らしく働けるようになるでしょう。あらいさんの経験を通して、仕事も生活も楽しむ人生の送り方を発見できるはず。
インタビュー前編ではあらいさんが人生を変えるきっかけに出会ってからピースボートに乗る決心をするまでのエピソードを紹介します。
Twitter:あらいちゃん@中卒ブロガー
ブログ:中卒あらいの笑う道
あらいさんの今と昔
―現在、日本にシェアリングエコノミーを広げる活動をしているんですよね。お仕事について教えていただけますか。
ガイアックスの社員として、シェアリングエコノミー協会に出向しています。そこではシェアリングエコノミー普及のために働いています。今は、9月に行う日本最大のシェアの祭典イベント『SHARING DAY SHIBUYA』に向かってシェアプラットフォーマーや企業と打ち合わせをしています。
―職場の雰囲気はどんな感じですか?
職場はコワーキングスペースかつフリーアドレス。その上リモートワークが可能です。1日に誰とも会わなかったり、会わないなと思ったらぜんぜん違う席にいたりとか。ミーティングで集まることもありますが、オンラインの参加も可能です。
シェアリングエコノミーという新しい概念を広げるために活動している職場なので、いろいろな働き方に寛容だと思います。協会のスタッフは15名ほどいますが、全員複業や兼業をしています。ダブル正社員の人がいれば、社団法人を立ち上げようとしている人もいます。フリーランスとして協会の活動に参加している人もいます。
一人ひとりの自由な働き方や生き方が、シェアリングエコノミーを広げる上でも力になるところがあります。
―それでは、あらいさんの過去について伺っていきたいと思います。まず、幼少期のあらいさんはどんな性格でしたか?
大人や世の中の決まりごとに、とにかく反発していました。小学校の理科の授業で、リトマス紙の実験があったんですよ。この実験が自分の人生で何の役に立つのか気になって、先生に質問しました。「実験なんだからとにかくやれ」という答えが返ってきて、すごく違和感を感じました。
「普通」とか「決めつけ」に乗っかることに、無意識に拒否感を抱いていたんだと思います。その時期は両親の離婚で家庭もゴタゴタしていました。親も含めて大人の言うことがぐるぐる変わって「なんだこいつら」みたいな。後から考えると、大人に使われるのが嫌で、自分らしく一生懸命もがいていたのかな。両親の離婚を気に、なにかがはじけました。我慢しないで、思うままにやってやろうって。
―なぜ暴走族になったのでしょうか?
小学校でいじめを受けたり、両親が離婚で家族がばらばらになったりして、孤独を感じていました。中学生になっても孤独なままで、居場所を探していました。
中学2年生のときに、友人ができました。その友人の兄が暴走族だったんですけど、友人や友人の兄とつるんでいるうちに暴走族に入っていました。メンバー同士の仲が良くて、居場所が見つかったと思いました。
―それから少年院に入ったんですよね。
喧嘩や暴走行為が積み重なって16歳で逮捕されました。そこから1年と4ヶ月くらい少年院に入っていました。
少年院時代に自分と向き合う時間が多かった
―少年院はどんな場所でしたか?
もう入りたくないです。ほんま地獄みたいな場所でした。
今でこそ笑い話なんですけど、すごく理不尽を感じることが多くて。無農薬で野菜を育てていたので、草刈りをしていたんですよ。その日は真夏でとにかく暑い。休憩の号令がかからないと何も飲めません。休憩時間にはお茶を一杯だけ飲めるんですけど、指導員が間違えて熱いお茶を用意したんですよ。ただ、文句は言えないので顔をしかめながらお茶を飲んでたんですが、「なんか文句あるのか」って指導員が怒りだして。自分の間違いを認めずに言い訳をしていたので、「こんな大人になりたくない」って思いました。
―他にはどのように過ごしていましたか?
姿勢を正して8時間ほど座り続ける「黙想」の日がありました。ご飯やお手洗い、寝る時以外は黙想です。最初は「早く終われ」って思うんです。ただ、何時間も黙想していると、そういうことも考えられなくなります。それで自然と自分と向き合うようになりました。「あれ、このままでいいのかな?」とか「もっと他にやりたいこといっぱいあるな」と考えていました。
他には、本を読める時間が多かったです。むしろ暇をつぶすのに活字を読むしかないというか。本を読みながら、外の世界を想像するようになりました。ハリーポッターを読んだときは感動しました。「世界には色んな場所があるんだ」「こういう世界を考える人がいるんだ」とすごく影響を受けました。本の内容や舞台になって国から、その本が生まれた背景まで思いを馳せました。暇やから(笑)
―自分と向き合う時間が多かったんですね。
まさにそうです。少年院に入る前に、鑑別所で裁判(少年審判)を受けました。そのときは「自分と向き合う時間を作って欲しい」「暴走族に入っていたときは、周りにずっと人がいて、ゆっくり考える時間がなかったのでは」と言われたんですよ。最初は「なにいってんねん」と反発していました。だけど少年院に入ったら、自分と向き合う時間しかなくて。ひたすら自分と向き合ったのを覚えています。
16~17歳で少年院に入ったので、その時自分と向き合ったことは、今の自分にすごい影響していると思います。「自分は何をしたいんだろう」と自分と向き合う習慣ができました。
暴走族をやっていたときの自分は、自分らしく生きようともがいていたところは肯定しています。だけど人に迷惑をかける行為が、自分らしさではないということに気がつけました。
―少年院を出るときの心境はいかがでしたか?
とても怖かったです。仕事も決まっていなかったですし。またここに戻ってくるんじゃないかっていう怖さがありました。
1冊の本との出会いからピースボートで世界一周へ
―少年院を出てからピースボートで世界を旅するまでは何をされていましたか?
通信工をしていました。電信柱に登ったり、マンホールの中に入ったり。最初の3年くらいは楽しかったです。地元の会社で歳が近い人も多かったし、お給料もそれなりにもらえて、人生で初めて仕事にやりがいを感じていました。
ただ、仕事がマンネリ化してきたときに「自分このままでいいのかな」「やりたいことは本当にこの仕事なのかな?」って考え始めて……。
仕事の先輩を見たときに、あんまりかっこよくなかったというか、なりたい姿じゃなかったんです。自分が10年後になりたい姿じゃなかった。飲みに行って話していることに夢とか希望がありませんでした。
それで家族に仕事の相談をしたら、「お前は少年院入っていたんだから、我慢してやれ、給料もそれなりにもらえているんだし。お前を雇ってくれるところはそんなにないんだから」と言われました。そのとき諦めというか「おれってこんな人生送るしかないのか」って思いました。だけど後からふつふつと反発を感じて「いや、そんなことないやろ」と思ったり。
少年院にいたときは、本を読んでいろんな世界に思いを馳せたりしてたんですよ。世界は広いと思っていたのに、「僕の人生これで終わるのか」て思うとやっぱり諦めきれませんでした。それでどんどん仕事が面白くなくなっていきました。もっと他にできることがあるんじゃないか、自分らしく生きていける方法があるんじゃないかって。
―マンネリ化した状況を打破するために何をしましたか?
何か変えようと思って本屋さんにいきました。人生で初めて。その日は仕事が夜勤だったんですけど、「 今から夜勤行くのか」と思ったら気分がだだ下がりで……。これじゃいかんなって思って。作業着のまま、仕事の前に思い立つように行きました。
売れてる本はたくさんあったんですが、いまいちピンとこなくて。活字とかあまり得意じゃなかったし、何を選んだらいいかなって。
最終的に『FREEDOM』(高橋歩著、A-Works、2009年) っていう本に出会いました。帯に「自由であるために。自分であるために」って書いてあってビビッときました。
―『FREEDOM』に出会ってなにか変わりましたか?
『FREEDOM』はポエムというか、詩と写真の本だったので、読みやすかったんです。笑顔の子供の写真が使われてたり。子供が好きなんです。
本の中に「これでいいじゃなくて、これがいい」という言葉が書いてあって、殴られた気分になりました。今と未来が面白くないのは、世界がおもしろくないのではなくて、僕の心が面白くないからなんだって思うようになりました。
その本がとにかく面白くて、「うぉー! 」ってテンションが上りました。でも何をしていいか分からないから、とりあえずインターネットで高橋さんを毎日検索です。どんな人なんだろう?何を考えているんだろう?って。そしたら、高橋さんのホームページにピースボートに乗るって書いてあったんですよ! ピースボートってなにか調べたら「世界一周」って出てきて。その時に思いました、「今の環境から抜け出すには、思い切ったことをするしかない」って。
ピースボートに乗って高橋さんに会うために、すぐに説明会を予約しました。もともと海外に行きたかったんですけど、お金が無かった。その時は貯金が160円でしたし(笑)でも、ピースボートのボランティアスタッフになれば、お金がなくても海外に行けるんですよ。これだって思いました。ボランティアスタッフをして、世界一周の旅に出ました。
―ピースボートで高橋歩さんに会って、どんなことを伝えましたか?
「本当にあなたのおかげでここまできました」と伝えました。船内で一緒に暮らしてるから、一緒に飲めたりするんですよ。ただ、感謝の気持ちを伝えた後は、高橋さんから離れていきました。
誰かに憧れたりはするんですけども、金魚のフンみたいについていくことはありません。いい意味でライバルになろう、この人を越えて行こうって考えてます。もっと自分を磨いていこうみたいな。
―何かに出会って自分や人生を変えたいと思う人はたくさんいると思います。ただ、行動できる人は少ないと思います。あらいさんが行動できた原動力は何だったのでしょうか?
外の世界に飛び出して環境を変えたいとか、自分の人生を追求したかったっていうのがありました。ただ、原動力の根底にあったのは友達の死と親友の後押しが大きかったです 。
「普通」ではない、あらいさんの半生を追ってきました。少年院時代に自分と徹底的に向き合ったことで、自分は何をしたいのかということを常に考えるようになったそうです。
『FREEDOM』という一冊の本に出会い、自分の考え方次第でいくらでも人生は面白くなると気づいたあらいさん。インタビュー後半では、あらいさんがどうやって自分がやりたいことや自分らしさを見つけたかを掘り下げていきます。